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相談③

淀川長治が亡くなった。それはもう8年も前のことだ。だが俺はその間ずっとそのことに気づいてさえいなかったんじゃないだろうか。最初に蓮実重彦に熱中するきっかけになった本(『映画千夜一夜』)は淀川長治の言葉を中心としていたことをさほど思い起こしもせず、亡くなった時には蓮実重彦が語っているからという理由で雑誌の別冊のようなもの(『サヨナラ特集淀川長治』)を買って一通り読んだものの、彼が単独で書いたり(『男と男のいる映画』)話したり(『淀川長治映画塾』)した珠玉の記録を、つい最近まで手にとらなかったからである。

淀川長治は日本人映画批評の歴代一番の偉人だとよく言われる。実際、誰も彼に対して批判するスタンスはとらない。これは一瞬ほほえましいことのような気がしてしまうものだ。それは、どんなに鋭く難解なことを言っている批評家よりもあのテレビでおなじみの淀川長治が上だということへの安心感のようなものなのだが、言うまでもなくそれは嘘で、淀川長治ほど鋭く、かつ難しいことをやってのけた映画批評家はいない。と、こういっている側からあたかもそれが淀川長治を持ち上げるために必死に考えたレトリックであるかのように見えてしまうことへのこのもどかしさ。そうか、それならそう思う奴は一冊だけでいい、『淀川長治映画塾』を読んでもらいたい。600ページという薄い本だが、いわんとすることは伝わるだろう。いや、俺もこれを読むまではイメージ先行で偉いお方と思っているだけだった。が、感覚の人、淀川長治は、これを読んで、感覚で味わわないといけない。

一切衰えることがなかった恐るべき動体視力と記憶力を持ち合わせる一方で、神経の行き届かない人間がいたような場面では本当に恐ろしい人だったらしい。実際『ゆきゆきて、神軍』の監督を「バカが」と非難する調子などはこれは現場で聞いていたら恐ろしいだろうと思う。非難する対象はなにか、それはかつて戦争前「贅沢は敵だとそろそろ言い出したころ」、外資系の配給会社で宣伝をやったときに渾身の作品ウィリアム・ワイラーの『ダズワース』に客が入らず、「日本はどうしてこんなに貧乏かな」と泣いた男の哲学が許さないものなのであるが、それは『淀川長治映画塾』に書いてあるのでどうぞ。この本は淀川長治の独壇場である口演をまとめたものだが、それを主催した松本さんという方は『サヨナラ特集淀川長治』で淀川長治のその思いについて触れている。

100人いれば100通りの見方ができるんだよ、という淀川長治の言葉は、映画は楽しめばいいんだよという言葉であると同時に、自分だけが理解できるような顔をするな("あなたに映画を愛しているとは言わせない")という厳しさが同居する、彼の考えをよくあらわしているものである。批評家としてすごい人は皆、なんだかんだで最終的には自分だけの目でどーんと評価を下すね。欲望に忠実で、耽美的な、素晴らしい方だったんだなあ、とうなりながら、最近は淀川長治の残した本ばかり読んでいる。ドイツはダサいと思っている人、ルビッチ、シュトロハイム、フリッツ・ラングはみんなドイツ人ですよ。ということで、これがよくわからない方は『淀川長治映画塾』を読みましょうね。


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『日曜ロードショー』の収録は、亡くなる前日まで続けた。

コメント

注文したよ~

このテンションで続くか、このブログ。

楽勝です。

山田宏一との座談集『映画は語る』(中央公論新社)もすばらしい。淀川氏を褒め称える山田氏なのだが、「淀川長治さんとともに」としてまとめられている山田氏の文章は、淀川長治のどこが凄いのかを具体的な例をひいて言い当てていて感動的。

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