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「質」の暗黒時代

同僚が「自分探し」に北海道に行っている。

チャリンコで一ヶ月もの間、野宿で、北海道を回るのだそうな。

なんで北海道行くの?

という質問に、この御時勢ニヤニヤしながら「自分探しです」と即答した彼は最高である。


「自分探し」が、暗くある必要なんてどこにもないですからねぇ。

「ヱヴァンゲリヲン的暴力(不条理、生(性)の複雑さ、無意味に思える生、代替可能な個という存在)は更に深く、切れ味を増して我々に襲いかかって来ている。シンジ君はそこに決死の戦いを挑んでいる。なるほど、その姿に感動するのであれば、我々はその姿を目に焼き付けなければいけない」

そうなのですなぁ。

でもそこに一つの罠は間違いなくあるのでしょう。

「逃げても、逃げなくても、とにかく、死んだら終わりですよ。そう暗くなんないで、楽になりましょうよ。」

これは別に時代のモードとか、そういうもんでもなく、

この言説からは碇シンジも逃れられないし、誰も逃れられはせんのです。 結局。

生(性)を肯定する、というのは結局ジレンマを内包するからしょうがねぇんですよ。


日々多々生産されるものに意味がある と考えることは、それは構造としては「自分探し」とかと変わらんことである。

宇宙人は居るか居ないかと不毛な議論をすることと大差は無い。


「ホンモノのホニャララ」

というストーリーはどこまで行っても姿を変えてニヤニヤしながら誰かが落とし穴にハマルのを待っている。

カオスとシンプルは同じものの表と裏だ。

んで、どうしようか? という。


中村まりの新譜をようやく買った。

マジで素晴らしい。今の所は。

Bob Dylanの新譜をようやく買った。

マジで素晴らしい。 今の所は。

Perfumeの新譜が家に届く。

微妙である。今の所は。

永続、継続、現実、ヴァーチャル、知っている、知らない、思い入れ、フラット。

テクスト vs 私小説。

要はまぁ、一緒だよね(笑)。

そんなわけで、今日、カレン・カーペンターと二ール・ヤングの顔が似ているということに気付いた。


「我々」は、もしくは「自分」は、今後どの「階級」に属する事になるのでしょう。

その選択権は、もはや、自分には無い。 

だからこそ、毎日が、楽しい決死の戦いであります。 


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