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その後

代々木第一体育館でPerfumeのライヴを見た感想は述べましたが、その後について。

今日友人と酒飲んでて、その友人の同級生が白結病で死んだという話とかをしてて、「旧友の死」に対する本人の実感と、他人がその話を聞いて思うこととの差異みたいな話もして、もう俺はその瞬間Perfumeのことが頭をよぎって(特にあ~ちゃん・・・・毎度すいません。はい。狂ってますよ。)、んで、Perfumeの話に摩り替えて、
「俺はPerfumeはよくわからんが、どうやらあれは、あなたみたいなパンク的なものを通過した人しかわかんないんじゃないか、という感じがする」
ということを言われた。

成る程。俺にとっては本当に都合の良い視点であります。

あれは、確かに、全く新しい、「肯定のパンク」であるという夢。

ライヴ中、あまりの既視感に襲われて、本物の熱量とは全く異なった、類型的な、俺が最も嫌いなベターッとした空気に襲われて、何回もタバコを吸いに立ったりして、ライヴ終わって、酒飲んで、家に帰って、一人でPerfumeの楽曲を聴いてたら、なんだか泣けて泣けてしょうがなくて、シャッフルの最後がコンピューターシティーとかで、号泣してたりしました。

「完璧な計算で作られた楽園で一つだけ嘘じゃない、愛してる。」

という絶望的な妄想。

「記憶と記憶の間辿って、誰も見たことの無い場所へ、夢の中で描いていた場所へ、ありふれたスピードを超えて、もうすぐ変わるよ世界が。もうすぐ、僕等の何かが変わるよ」

この絶望的な、夢。

果たして、何かが変わったのだろうか?

本人達が一番好きな楽曲がこの曲なのは、(武道館でまさかの一発目だったしね。今現在どうなのかはわからん。)偶然ではないだろう。


Perfumeの本質とは、ある意味ゲバラみたいなもんなのかもしれない。

よく言われている、梶原一騎的な、ジャンプ的な、というような意味ではない。

彼女達は、奇跡的に、絶望的なまでに、「回り」を否定しない。

あのあ~ちゃんの分裂の仕方というのは、正直今までの「アイドル」の中ではあんまり見たことが無い。

演じているのか、素なのか、もはやわかりようがないが(それこそがPerfumeの新しさなのだが)確実に分裂している。

「割り切る」こととは、何かを「否定」する事なのだ。

彼女達は、偶然か、必然か、何故だか、これはこれ、それはそれと、割り切りようがないような運動に組み込まれているようだ。

いい時も、悪い時も、その核はこの『絶望的な肯定』にある。

格好よさも、格好悪さも、そのヴァリエイジョンでしかない。

そして彼女達は、漫画でも、映画でも、ましてや夢ですらない。

まぎれもない、現実である。

というような世界観が希薄になって、より擬似恋愛対照的というか、いわゆる類型的な「アイドル」側にシフトしていることが本当に嫌だったのでイライラしながら見てたのだと思う。

彼女達の分裂を統一させる答えが、あの聴衆のクソッタレな反応なのだとしたら・・・・

そう思うと正直ぞっとする。


まぁほとんどが嘘です。


「呆れた顔が見たくて、時々邪魔もするけど、

大切なのはマカロニ。ぐつぐつ溶けるスープ。(号泣)」

そう。

大切なのは、その、絶望的なまでに、機械的に、ぐつぐつ溶ける、何かだ。

否定でもなく、初期衝動、とかでもなく。

あなたにはぐつぐつ溶ける何かがまだあるのだろうか?

記憶と記憶の間の中にでもいいからあるだろうか?

彼女達にはその何かを見続けてよい特権がある。それは彼女達自身が闘争して勝ち取った物だ。

だが、その何かを見失った時、もはや、「アイドル」になるしか、道は無い。

もしくは・・・。

いやー。本当にすいません。


アホです。もう。


もういいや。

思うが壺ですよ。完全に。


アルバムが楽しみです。


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