ファッキン フィ二シアン
オモロー
ライアン・アダムスは、その昔「ブライアン・アダムス!!」とライヴで揶揄されて切れまくっていた。
韻を踏めるのは音が近いからだし、言葉遊びも駄洒落も、「モノ」の名前が破壊されそうなスレスレのストーリーの中でこそ一番威力を発揮する。
音と、それが意味する「それ」のつながりを捻じれの関係に持ち込むことで「笑い」だの「高揚」だのを演出するわけさね。
いや、俺が一番ビビッタって。質の悪いギャグにもならねえ。
「えーーーー!」って思たよ。おもたおもた。
それにしてもなぁ、なんか、まさかさー、なんなんだろうなー、まったくさー。
ことがことだけに茶々入れたりもできねーし。
改名もちょっと視野に入れたぐらいだ。
あいつは悪い。最悪だ。裁かれろ。
被害者の方達はマジで悲惨だと思う。ご冥福を心から祈ろう。
んで、
相変わらずクソのような報道が続いているし、
相変わらずワイドショー的な世界が強化され続けてるし、
相変わらずかなりの数の奴等が A←B=A→B みたいな構図で安心しようと躍起になっているし、
そう、いつだってあなたあなたあなたのフアンフアンフアンさ~ってことなんですなー。
反吐が出るぜ。
まあなんにしろ、暴力そのものが世の中から省け得るとか考えている奴等にとっては、もしくはそうでないと「不安」になってしまう奴等にとっては重大な話なんでしょうな。
んで、はたして「妄想」してるのは、どこのどいつなのか。
視野に入れたくないゴミは、回収され得ない場合どうなるのかってのは誰もが知っているにもかかわらずね。
四川破滅核説の方が余程気になるぜ。