« ツイン・ピークス('90-'91)デビッド・リンチ | メイン | 「四季の物語」冬・秋・夏/エリック・ロメール »

夜顔('06)マノエル・デ・オリヴェイラ

08belle.xlarge1.jpg

まず、オリヴェイラが昼顔('67)をそこまで好きだったというのが意外。意外、というよりも、そもそも予測なんかしていないので、そのまま納得、なのだが。じゃあこのポルトガルの監督がスペインの巨匠ルイス・ブニュエルの傑作の後日談を、当時の役者を使って撮るというけど、たまにある同窓会のようなのりで撮るのかといえば、まさかオリヴェイラほどに「若い」監督がそんなことはしない。

昼顔の二人が、あのまったくソリが合うようにも見えなかった二人が、40年の時を経て再開する、という映画をどうやって撮るのかとおもったが(その出鼻をくじくオープニングのオーケストラのシーンからしてかなりよかったが)、昼顔でのラスト、セヴリーヌとムッシュ・ユッソンが部屋で会う対決シーンからストーリーがつながっている。そして肝心な二人は相変わらずまったくソリが合わないままだった、という魅力的な展開を見せる。昼顔で明かされずに残った部分は、謎のままおわる。

観客はそもそも昼顔の曖昧な話に結論を出せていないのだから(セヴリーヌはマゾなのか?サディストなのか?夫を愛しているのか?そもそもこの映画、どこまで現実なのか?)、その後日談であればオリヴェイラの解釈に乗るしかない。ムッシュ・ユッソンがバーでそれなりに講釈してくれるけど、そもそも彼はそこまで信用に足る人物ではない。このユッソン演じるミッシェル・ピコリはあのゴダールの軽蔑で文字通り軽蔑される夫だけど、昼顔に続いて不気味な感じでよかった。もう80歳を超えているけれど、ウィスキーをダブルでガブガブのむ時、ムームー言いながら(言ってないか)ぷるぷる手を差し出すときの感じは異様だった。

そういう異様さという方面でのブニュエルっぽさをオリヴェイラは出しているのかというと、セヴリーヌが去るところで、ひとつ出しています。それまでのところにもあったのかというと、ぜんぜんないけど、まあ少なくとも昼顔のあのパリの冬の感じはかなり色濃くでていて、ムッシュ・ユッソンの黒いコートもよかった。ただ、終始パリでしかもバーとかホテルのフロントとか、同じ場所が繰り返しでくるのが違うところ。ラストのレストランの感じは、さすがにあれはオリヴェイラっぽい。ってことで魅力はありました。だけどまあ、昼顔のほうが全然キャッチー。

まあ、あとは、ビュル・オジェ(ブルジョアジーの秘かな愉しみに出てるかなりの高名な女優だった)演じるセヴリーヌが、カトリーヌ・ドゥヌーヴだったなら、というのはある。さすがに、あのユッソンとの対決の続きを見たかったよ。スケジュールが合わなかったのか?そこはあまりつっこまないのか?

原題は Belle Toujours で、昼顔の原題であるBelle de jourの韻を踏んでいる。邦題は韻だけ踏んで雰囲気だけ伝えているものの、意味がちがってしまっている。"Belle toujours"とは40年ぶりに再開したセルヴィーヌにムッシュ・ユッソンが言った言葉で「いつもきれいだね」というか「お変わりなく美しいですね」という意味、だと思うのだが。まあ、でも映画館は満席だったから、なにか発するものはあるネーミングだったのかもしれない。