« 大日本人('07)松本人志 | メイン | ボルベール<帰郷> ('06スペイン)ペドロ・アルモドバル »

殯の森('07日仏)河瀨直美

山にゆれる緑のロングショットから始まる。風にゆれる田園風景のなかを遠くに葬儀の行列が見えてくる。次は超クローズ・アップでの作業風景がいくつか入り、先ほどの行列に寄る。やっと人物が普通の大きさで捕らえられる。音楽が鳴り、暗い水面が映る。ここまでくれば、もうただ身を任せるだけである。

やがて黒地に白い文字でタイトルが入り、映画が始まるのだが、ひたすら先を急ぐように映画は進んでゆく。97分。先は短い。決してゆったりさせてはくれない。画面が次々と移り変わってしまうのを惜しんでいるうちに、やがて映画は終わってしまう。

この映画は俺の今年のベスト。
最近考えさせられる映画が多くて言い淀みがちでいたけど、これはただ見ればよい。これぞ映画のグルーヴ。

寡黙にして雄弁な映画である。泣けるシーンが多いのは、その雄弁さゆえである。つまりわかりやすい。

茶畑の中をうだしげきと尾野真千子が追いかけっこをするシーンでは、前日の二人の間の事件をふまえての「仲直り」というつながりを感じさせる。
森で川を渡ろうとする老人を必死の剣幕でとめようとする女の迫力からは、自分の子供を失った事件への女の恐怖の記憶を想起させる。
夜半に寒さに震える老人を体をはって介抱する女の懸命さには息子を死なせてしまったことへの後悔という内面を想像せずにいられない。また、老人が亡き妻と踊るシーンではいっしょにピアノを弾いた場面につながる在りし日の幸福感へのつながりがある。

このように映画の感動的な場面は執拗なまでに布石が打ってあり、とても説明的である。説明的であざといという意見もあるだろう。クソくらえである。

老人を追いかけて走り出す尾野真千子、森では終始不安げに空を仰ぎ見るようなその表情、「認知症」だったはずなのにやたらに確信を持った表情で車から降り立つしげき、ラストに向けてひたすら体力勝負に挑む2人の姿勢に、感動していればいいのである。そのための布石なのである。

題材は認知症の老人と介護する若い女との間のふれあいだが、そこから社会的な問題提起という方向には向かわない。とはいえ、完全にファンタジックな物語というわけではない。ここに描かれた介護施設は、監督が綿密に認知症に関する現実的な情報を集めて行き着いた形であるとのことだ。実際、この家は森と同じくらい重要で、導入部分では観客を引き込むために大きな役割を果たしている。

いままで題材ゆえに海外での評価が先行する一方で日本国内では受け止められなかった、という監督の言葉と、海外で評価されてはじめて映画を見ようとする日本人、という「問題」が頭をよぎりつつ映画館に入ったけど、そんなことはどうでもよかった。

次回作は長谷川京子主演のコメディということだが、まあ期待するとしても、そんなことより河瀨監督には神代辰巳の後を継いで、来るべきロマンポルノ復権の日に備えてもらいたい。唐突だが絶対できると思う。

mogari1.JPG


長い間ふらふらふらふらと生きてきました。」(うだしげき)