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相談①

侯孝賢『南国再見、南国』またの名を『憂鬱な楽園』のオープニング、あれは念仏だろうか。念仏のようなテクノ・ミュージックの中列車に乗ったサングラスのチンピラが座っているだけでなぜやられたと思わせられるのだろうか。まったく侯孝賢はオープニングで絶対狙っている。いや映画作るひとはみんな狙ってるはずのオープニングで必ず決める。まったく。同じく侯孝賢『ミレニアム・マンボ』のオープニング、スローモーションで歩く女の後姿にかぶってくる独白で、どうやったらかっこよくとれるんだよ今更、ってとこでまた決めやがった。また、侯孝賢『南国再見、南国』で庭みたいなところで食べるあのご飯である。今日はグルメに関する相談があるんだが、みんなグルメにはどう折り合いをつけているんだろうか。ということは実はもうどうでもよくて、生活に食を持ち込むときに重要なのは様式ではないのかという点を相談したい。あの長い象牙箸であり、中華鍋であり、無言で食うことが、ぼーっとしているやつには思いもつかず、一生つかめないまま終わる様式なのじゃないのか。


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侯孝賢『ミレニアム・マンボ』から

コメント

こちらもどうぞよろしく。

「その"侠"の意識は、どこかで、中上健次の小説につながっているような気がしてなりません。『悲情城市』を初めて見たのはロッテルダム映画祭ですが、人物関係がわからんと周りの外国人が文句を言っていました。中上健次の作品も、誰がお兄さんで誰が弟だかわからないという人物関係が、たとえば『枯木灘』という作品にもでてきます。」

http://www.hhh-movie.jp/talk/hasumi.htm

あの長い箸探してます。あれが今の俺に一番必要なものだと思ってます。あと、食欲の割には小さすぎるご飯茶碗ね。今度海に行く前に中華街で物色しようかなー。

あと、これも様式の中に入るともうけど、PCに向かいながらは最悪だな。だいたい夜はそうなんんだけど。とにかく食にはその人の思想が凝縮されますね。

>食欲の割には小さすぎるご飯茶碗
それだ。
あれでチャーハンを下品に食べたい。

お、偶然見つけた。
教えろって。

しかるべき人が集まるようになってます。

嘘。まえのHPからリンクつくったよ。そのうちやり方がわかったらmixiの日記にもリンクする。

MIXIとの連動は容易だろう。

こういうの苦手なもんでね。

容易だった。

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