ドーム後に思ったこと③
「面 から 球 へ。
そしてその球の中心にスッポリと入ったとき、その内部から記号消費そのものを木っ端微塵に食い破る。
その時、点も 面も 球も 何もなくなるだろう。 そのものになる。 」
というようななんとなくの感覚。
恐ろしいことに、その後ネットを渡り歩いて目撃した情報を総合すると、
そんな感覚を有していたのは自分だけではないのである・・・・
「点と点を繋げてこう Everythingを合わせてこう」 という・・・
いかんなぁ また頭がおかしくなり始めてるぜ。
インタラクティヴ・メディアアート 消費記号たることへの揶揄と挑発と利用。
そして、面から球体へ これはもはや、完全に新しい形の「音楽のライヴ」を更新させる動力に成り得るだろう。
例えば今、水戸でやってるなんちゃらフェスティバルのようなものの、とてつもなく壮大であり、さらにポップであるもの。
異常に金がかかるだろう。
だから、とりあえず儲けといてください。
ちなみに、隠喩としての意味だけでなく、物理的にもあのLedバルーンを食い破って欲しかった!!ww
だから「ドーム(=球)」 だった、ということは完全なるコジツケ でもないのかもしれない。
書を捨て、町へ出る のに実際町に出る必要は無く、 また、3D映像とは所詮は2Dの延長である とういような意味を超えて 真に「立体」であること。 そのようなライヴの段階に至る契機だったような
気がするだけです。