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キング・オブ・ポップ・オア・ポップス?

「ポップであってポップスであるな」という唄を歌うオモシレー奴がいるんだが、大好きなんだが、

それを一々解説はしてくれるなよ。全くもう・・・・。 

まぁそれはどうでもよくて、導入で、やっぱり死ぬと消費されまくるんですよね~。

だとすれば「死ねばいい」と思う奴等はいくらでもいるでしょうねー。

最近本とか読んで窺い知るヤクザ社会の構造が、成る程ってなもんで、面白くて、あの、「一度盃を交わしたら、上がどんなにクソだろうがアホだろうが付いて行かざるを得ない」構造とか、親や兄弟を失った後のその後の権力を巡るグルグル回りまくる構造とか、理にかなっているなぁ。というか、社会の非常に巧妙な縮図になってんだなぁと思います。

だからどちらも「死ねばいい」になるんだなぁ と思うのでした。

環境 や、自分の価値 を選択できる なんてのは幻想でしかない。

でも、そう思わざるを得ない・・・・。

ガキの頃からああだったマイケル君も、その辺のヤクザやさんも、あ~ちゃんも、

その悲哀の構造というのはホント一緒ですよ。

悲しいですねぇ。


昔Quick Japanのインタビューで、中田ヤスタカが言ってた。

「本当は、ポップスというものはもっと難しいものなんですよ。簡単に作れるものじゃないと。だからこそしっかり作っていこうと思っているんですよね。ポップスって、いかにも大衆に受けそうな曲っていう安易なものではなくて、今後大衆に受け入れられる可能性に挑戦する音楽だと思うんですよ。そういう意味でのポップスを取り戻したいと思うんです。」

ってなわけで、どなた様も、擁護派もアンチも、 「本来の怒り」は、例の、さっぱり何もわからないようにできあがってるような権力構造かなんかか、路傍の石にでも向かえばよいとおもうんだよねー。 

人に奉仕するのも、自分の満足でやってんのも、結局同じ構造上をくるくる回ってるだけで、その「自意識」に拘ってるのは全くナンセンスなお話ですよ。 なんて、ホント今更だけどねー。

そう。

どなた様も後付に騙されてはいけない。

そのような後付に振り回されていない視線だけが、いずれ、後付としての説得力を持つのだろうと思う。

つまり、黙々とやりつづけるしかない。

鳥が空を飛ぶように。

さて、昨夜は酒飲まなかったが、結局あまり寝られなかった。

時間があるので、「後付け」たる、新劇場版エヴァンゲリオンでも 見に行こう。

だって、すげーらしいんだよ。 しかも「ポップ」なんだってさ。

ロックだってテクノだってジャズだってパンクだって、そんなもんどうでもいいですよ。

「すげーらしい」

繋がりが繋がりを呼び、連鎖が連鎖を生む。

これしかねーですよ。 結局。 それが、ポップ。

さぁ、こっからはアンチATフィールド全開で行きます。 ウヒヒヒヒ。

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