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言う事は聞かない。素直である事は確かだと思う。

アーユーハングリー?

クソクソクソクソったれなエゴが街を占拠してるぜ。
高円寺という街がこのような形で「小奇麗に」キャラ立ちしていくのは、
もう、なんかしょうがないんだろうけど、凄まじく憤りを覚えるのでありました。
俺はこれを見て本気で嫌な気持ちになってしまうのでした。
でもまあ、俺の方が確実に腐臭を放っているんだろう。
いや、高円寺自体が腐臭を放っている。
夢の墓場ってーのは一番臭い臭いがするんだよねえ。
それが本当に嫌ならば、自分で回りを住みよくするか、もしくは自分の方だけ変わってしまうか、その場から去るか、誰かが変えてくれるのを待つか、だよねえ。

果たして、皆どう思っているんだろうかね。

松本哉か。やるねえ。
ECDは純粋に格好よい。

お前等は、孤独の意味を知らなすぎる。
逆に言えば、快感も知らないということだ。

そして殆どが転移にすぎない。

でも、凄く楽しそうだね。
こういう奴等は正直うらやましい。「働かないぞ」とか言うのはそれは楽しいでしょうな。

でもまあ、もうちっと頑張ることにしよう。


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コメント

某嬢が、こいつらのイベントに参加してきて、「単なるお祭りみたいなもんだよ。」って言ってたし、大半の人には単なる馬鹿騒ぎなんじゃないですか?リサイクルショップ経営って立派な労働だと思いますが、アカの人達の思考回路内ではどうなっているのか、さっぱりわからないですねえ。最初の店舗ができた時に何気に受け入れてしまった高円寺の負けなんじゃないかと。

高円寺の負けも勝ちも別にないんだけどね。

まあ、なんか嫌なものを見たなあっつーだけです。
今はもう落ち着いてます。
なんというか、高円寺が「青春パンク」化していく感じがして凄く嫌なんだよねえ。街が画一化していくのを見るのが。でも、それはもうどうしようもないのだなあ、という。

んで、それを「上」にやめさせるためにやってる行動な筈(意見表明としては)なんでしょ?
これは。

高円寺。
「何気に受け入れてしまった」と言うか、たぶん元から基本的に跳ね飛ばせない奴等ばっかりが集まる街っつーか、
外側に向かうよりも内側に収束していくっつーか、そのどす黒さを受け入れる土壌があったというか、そこに必要以上に他人は干渉しないでいることで、いろんなものを産んできた街な気がするわけです。
そういう意味では、「血」が薄くなっているんだなあ、と。
孤独と背反の突飛な部分がどんどん減って、
それに憧れて利用するだけの普通の奴等ばっかりが増えてんだなあ、と。

まあ、でもしょうがない。

各々にまかす。

んで、やっぱアカなんですかね?
そういう噂は聞いたことはあります。
あくまで噂ですが。

んで、あんた誰?
予想は付かないでもないけど。

高円寺って元々こういったイメージだったような。

現代の「ええじゃないか」でしょ。大半の人間には、思想なんかどうでもよくて、「なんとなくエネルギーあって面白そうだ」って位なんだから、ほおっておけば、すぐ飽きて静かになりますよ。


私には代々木アニメーション学院が出来た時の方が衝撃でしたけど(笑高円寺は萌え化は進みましたか?

えーとさ。
字面通りにマジに受け取ってくれるのはありがたい、というかホント申し訳ないんだが、基本的にここは俺にとっての防空壕みたいな空間として使ってます。
まず、そこは「心配してくれて」申し訳ない、というか、謝っておきます。

んで、「信じられない位の多様な個性をもった人間達が闇ナベ状態になっているにもかかわらず、社会は、そこそこ上手く機能している」という認識を持っているあなたとはどう考えても話は合うはずもないんですけど、「大半の人間には、思想なんかどうでもよくて、『なんとなくエネルギーあって面白そうだ』って位なんだから、ほおっておけば、すぐ飽きて静かになりますよ」というそこがまさに俺が嫌さを感じる部分なんてすよ。 その対象が某沖縄居酒屋とかであれば全然問題ないんです。もしくは某素人の乱とかであれば問題ないんです。 何故なら、そこには思考は必要とされないし、それが当たり前だから。

問題なのは、今更ですけど、これは「選挙活動」の一環であるということです。
「利用」する、とか、「戦略」というところまで全く行ってないよ。こんなの。 悪乗り にもならない。
そこすらどうでもいい、とかには俺は乗れないんですな。

こいつらの(あなたで言う所の「ええじゃないか」性)この「適当な」スタンスといのもある種の思想にのっかっていることに気付かないのとかが嫌でしょうがないわけですよ。
もしくは、個人が持ち得る「思想」が思想として機能しうるのは本来はマジで希なことでありまして、そんなもんいつの時代でもあり得なかったんですが、むしろそうなのに今は「俺は思想を持っている」ということになり得ちゃうんですよ。「自分」とか「個性」とかが「良いもんだ」ってアナウンスされてるから。
例えば、「日記を公開する」とか、本来はマジ恥ずかしいことだと思うんですよ、すげえ意味無い事だと。俺は。ってとこが多分あなたとずれてるとこだと思うんだけど。

ここはもう、「個性」という言葉の認識とかがあなたとは決定的に違う感じがしますのでどうしようもない気がします。

個性が商品になっていて、そこでこそ資本が回っていて、だから「夢」を追う奴とかが高円寺に来て、そうであればある程皆が没個性になっていくという流れが当然高円寺にも回ってきていて、そもそも個性っつーのは本来は寂しくて孤独なもので、何故なら他人と違うということを引き受けねばならないからで、でも皆それに憧れていて、「働かないぞ」という奴等は実は余裕で働け得て、そもそもその構造が資本を回すための重要な一翼を担っていて、社会の枠組みの一部と化していて、でもそいつらは「社会の枠組みから外れたい」とか思えば思うほど、ツボなのにそれをある意味「本気」で信じてて、しかもその「構造」に対する不平を言うという立場からそれはなされていて、ますますその構造を強化する方にしか動いていなくて、要は(「ええじゃないか」でしょ、というのはその意味だと思うのですが)、祭りを作り上げる事も出来ず普段悶々としていることとかが更に社会を回して、実はガス抜き的な意味では成り立ちようが無い、回収不可能などうしようもなさを露呈している、といのが現前に現れる、というのは本当に嫌だなあ、とそんな感じです。

「高円寺は元からこういうイメージ」というそのイメージこそが問題で、本来高円寺が高円寺足りえたのは、社会からドロップアウトしてくる奴等がきちんと弾かれた(もしくは自ら外れた)奴等だったからですよ。もっと、ずっと冷めた視線の上にあったはずなんですよ。
それは、例えば東長崎~椎名町=漫画とか、根津、上野の山=小説とか、何でもいいんだけどね。
なんだか知んないけど、ちゃんとした「個性」があったんだと思います。
「他とは違う」ということへの素直な態度があった。
というよりも、だからこそ面白かったんだと思う。


まあ、プチNewYorkみたいなもんだった。
でも、今はそれに憧れる普通の奴等ばかりだということです。当たり前のことだけど、それをまざまざと目撃するのは嫌なもんじゃないですか。

且つ、重要なのは、
要は、次代の上下格差社会を両手を広げて受け入れているわけです。これは。
まあ、どう考えてもそうにしかならないんだけど。
つまり全然かまわないんだけどさ。
ただ、嫌な気持ちにはなる。

しかも俺は今回のこれはこれで面白いともお思ってるんだよ。


酒入ってます。まあ適当です。ソーリー。
以降は直接メールででも。

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