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Series Of Dreams

YAから借りていた「ダウン・ザ・ハイウェイ ボブ・ディランの生涯」を読了。
衝撃を受けまくった。
どんだけの女とやってんだよ。
知らないことばっかでした。
ディランに興味のある方は是非とも読んでみてください。




しかし、70年代後半から80年代のダメな時期は本当にダメだったんだなあ。
グレイトフル・デッドに入ろうとして、デッドのオフィスに電話かけたとか。ありえない話。
その時デッドはバンドで投票してディランを入れないことに決定したとか。
この時期の話はディラン自伝と重ねて読むと面白いです。






どのくらいダメで、ディラン自身や周りがそれをどう感じていて、また、ディラン自身がどう立ち直っていったか、そのそれぞれの感じ方の相違とか。
ディラン自身の感じ方とか、あんまりあてにならんような気もするが、まあ、
応用しなきゃいけないんじゃないですかねえ。

伝説とされ、人が金を払って見に来てくれるのはありがたいが、大半の人は一回見に来てくれれば、それでおしまいだ。自分と客の時間を無駄にせず、品物をきちんと配達しなくてはいけない。わたしは音楽シーンから消えてこそいないが、本当は広くて太いはずの道は狭くなり、もう少しで閉鎖されそうだ。それでもまだ、わたしは消えておらず、道のすみにへばりついている―――(略)

――三年間、ほぼ同じ都市で公演をおこなうスケジュールを組んで欲しいと。適切な聞き手たちをみつけて、あるいは適切な聞き手たちがわたしをみつけて、すべてが始まるまでに少なくとも三年はかかると考えたのだ。三年と決めたのはこう思ったからだ。年配者の多くは一年目だけで来なくなるが、二年目には若いファンが友達を連れてくるので、観客数は変わらない。三年目になると、彼らがさらに友だちを連れてきて、それが未来の核となる。わたしの歌が二十年以上も前につくられているという事実は、問題ではない。わたしはいちばん下からスタートしなくてはいけないが、まだそこにさえ届いていない。

前々からマイルスとディランの類似性を感じていたんだが、この本を呼んでなお一層その感が強まった。
二人とも、トランペットもギター(まあ、歌か)も全然上手じゃないが、それを他人と別の空間で響かせる術を常に模索している。天然天邪鬼。チビ。ただ、やたら確信している。
その確信に周りが勝手に惹きつけられて、勝手に最高なメンバー達がフォローする形になる。
だから、結局、ツジツマは合わされる事になる。(今回のディラン復興ブームもまた)
その確信が揺らぐと本当にどうしようもないくらいダメ。
才能とは、いっぺんの曇りもなく欲望することであり、残酷さと繊細さが折り合いをつけられないままその欲望に寄り添っている、みたいな感じ。

というわけで、マイルスの自伝読んでない方がいましたら、是非とも合わせてお読みください。





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