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Walk On The Wild Side

島フェスは上野でやるのだ。

んで、その島フェスのチラシとかおいてもらうために上野を徘徊して参りました。

上野は俺が19歳の時期を過ごした街であります。
あそこでいろいろ学びました。
当時は学費を稼ぐために新聞配達をやっておりました。
人間のいろんな極限というものを、生のまま浴びた時期であります。

金のために簡単に人を殺す少年。
女にめった刺しにされてドブで死んでいた、ブクブクに太ったヒモの男。
金の無い20未満の男を見つけては、部屋に連れ込んで、連れ込んだ男を必ずやくざ物にさせていた足の悪い40過ぎの女。
新聞配達で朝刊を配るために朝早くエレベーターに乗ろうとしたら、血まみれの男が死んでいたこともありました。(たぶん全部嘘。でも酔っているのでよくわかりません)

まんま、つげ義春とか、いましろたかしとかが描く底辺の世界にいました。
(まあ、今もそんな変化ないような気もするけど)

当時俺はモルタル作りの、隣の部屋のオバハンの寝言があまりにも鮮明に聞こえる部屋に住んでました。その70過ぎのオバハンはいつもニコニコしながら、「えらいねえ。いつも配達ご苦労様」といって、ポテトチップスとか、菓子パンとか、ヨーグルトとかをくれたのだが、
その食料は必ず賞味期限が過ぎているか(特にヨーグルトは一ヶ月以上切れが常識)、明らかに鼠に食い破られた形跡があるものでした。

しかも、そのオバハンはそのことを「意識的に」やっていないのである。
当たり前のこととしてやっている。仕草も。言葉のしゃべり方も。
どのように見ても「好意」で俺に物を与えてくれているように見える。

俺が切れて、「ふざけんな」と言えば事足りたのかもしれない?
そんなわけがあるわけない。絶対あっちの方が強い。
恐らく人生のかなりの時間を、叩かれて、反抗すらできず、怨念を、自分ですら気づかないような生活の細部に盛り込んで、しかもそれに自分ですら気づかないような完璧さで生きているような人間に、右も左もわからない、しかも、何故か同じ世界で生きることになったばかりのクソったれの若造がかなう術などないのである。
はっきり言って、俺よりそのオバハンの方が迫力があった。
それは、まだまだ崖っぷちを弄んでいられる若造の俺と、
崖っぷちこそが人生であって、そこでしか生きてこなかった、人間の重みの違いである。
この意味での「重み」に、高尚な意味なんぞ全く無い。
ようは、そのときの俺は、そのオバハンからヒエラルキー的に下に見られていた。
しかもそれが自然であった。
そして、恐らくこれは捻じれているかもしれないが会話の一部であったんだと思う。

そして以上のことには全く意味なんぞありはしないのです。
俺もそのことはよくわかっているのです。

今日上野に行ったときにはこんなことはまったく思い出しもしなかたのですが、
バンドの練習の後に酒を飲みながら、メンバーと話しながら、ちょっとずつ思い出したのでした。
そしてノスタルジーに浸って、今、含み笑いをしながら、ルー・リードを聴いているわけです。
(当時はよく、Velvet Undergroundを一人公園でぶっつづけで6時間とか聴いてました)

「馬鹿馬鹿しいことを笑うにも、最低二人が必要でしょう?」(J.L.Godard)

全くそのとおりだと思います。

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